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東京都チャレンジ農業支援センター

江戸時代から続く生産農家さんが実は東京(特に今では西東京)には多いのです。東京出身の自分達もこの仕事に関わらなければ知ることはなかったでしょう。東京の農業なんて聞き慣れない言葉かもしれませんが、どの地域にも負けないような高品質な農産物を作り続けています。しかし現在では東京であるが故の事情で持続的な農業を行っていく難しさがあり生産者の方々を支援する制度として2013年にはじまった「東京都チャレンジ農業支援センター」での仕事になります。

デザイナーとしての専門職登録は自分達が第一号。当初、農業にデザインという接続が理解されにくかったと初代の所長さんはおっしゃっていました。日本での広告デザインの歴史は「市場」を起源にするとの説がありますが、デザイナーとして第一次産業に関われる事は長年の希望でもあり、自分たちにとっても最重要課題であるとおもいます。生産者の方々と直接、日々難問に楽しく取り組んでいます。

白石農園

私たちの最初のチャレンジ農業案件は、江戸時代初期から続く白石農園でした。徳川五代将軍綱吉は練馬大根を大切にし、鷹狩りで練馬を訪れた時、もしも大根を傷つけるようなことがあったら、百姓に丁重に謝りなさいと部下達に伝達していたそうです。白石好孝さんも練馬大根を育て、住宅地に囲まれながらも都市の中で江戸時代からの農地を死守しています。都市の中で農地を継続させていく難しさを克服するため「農業体験農園・大泉 風のがっこう」を平成9年に開園。その技術力、実行力、意志と情熱は東京都で最も一目置かれる存在です。農園内には子ども時代にその学校を体験した人のレストランがあります。隣で採れた野菜をすぐ食べさせるなんて、なんと贅沢なのでしょう。しかも東京の都市です。
そんな白石好孝さんの息子さんが、東京でアスパラガスを生産する。というとんでもない決意をされました。今まで誰も考えない無謀な計画です。アスパラは当初、食用ではなく観賞用植物として日本に入ってきましたそうです。温室に入るとグリーンのふかふかの羽のような葉が水草のように生い茂っています。このアスパラ事業計画は当初から福祉作業所の方々に選別・梱包してもらい、地域の人達と協働して北海道にも負けないような特別なアスパラを目指す。今まで会ってきた農家の人たちとは全く違う視点をもっていました。数十年後、練馬アスパラが東京土産の筆頭になっているのかもしれません。

森谷園1

森谷園

“色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす”という狭山茶で有名な森谷園さん。初めてうかがったのは新茶の時で香りと水色の美しさにとても驚きました。やはりこの美味しさはペットボトルのお茶では再現することが出来ません。古きものを新しくしたいというのは当然なことではありますが、傷みや劣化とともに時間という得難い価値をも「古さ」として捨てててしまいがちです。時間堆積によってつくられる逆戻りできない物質の変化には価値が潜んでいる場合が多々あります。森屋園の敷地には石造りの蔵があり工場は木造の木組みで、いたるところに時間が堆積していていました。固有の時間は固有の歴史を持っていてそれが唯一の区別につながります。蔵に眠っていた古い茶箱のブリキからインスピレーションを得てブリキ素材を用いた看板に職人さんに手描きで昔の茶壺を描いてもらいました。
森谷園の玄関にはこのお茶を飲んだ立川談志さんの丁寧な御礼文「末長くつづけてください」がかかげられています。

久安

久安

1855年(安政2年)の江戸時代から代々続く久安さん。その昔は畜産や養蚕をやっていたそうで、現在では葡萄、キウイ、梨をメインに栽培し、特にシャインマスカットなどの高品質な貴重種はオハコです。キウイの木の根元に傷が付いているのは猫が引っ掻いてしまうそうで、キウイがマタタビ科マタタビ属だとはこの時はじめて知りました。
葡萄は世界でも最古の栽培植物とされていて、創世記にも記載があります。石榴と並び豊穣のシンボル、聖なる果実として尊ばれ、古代ケルト文化でも「21の聖なる樹木」の一つになっています。教会の壁に「葡萄唐草」と呼ばれる装飾柄を良く見かけます。葡萄唐草はアレクサンドロス大王のペルシャ遠征でオリエントに伝播し、仏教とともに中国を経由し、日本にも伝わりました。江戸末期を起源とする久安さんにうってつけのモチーフ。

榎戸園

榎戸園

青梅市にて親子十七代この地にて生計を営み、三代前のおじいさまから植木業(当初は杉の苗木作り)をはじめ、今では挿し木の苗作りから造園までを行なっています。「他人のものはつかえない」というスコップとハサミはこれ以上ないくらいに研がれていて触るだけで切れそうでした。
代々続いている農家さんは屋号をもっていることが多いのですが、所有する昔の漆器の底には「山」と「十」を合体させた印が描いてありました。先代に山の地主でもあった「じゅうごろうさん」という方がいたそうなので、おそらくこれがこの印の起源だと思われます。そこで昔の印をスコップのように研ぎ澄ましてみました。当初、榎戸さんからはピンとこないと言われてしまいましたが、見るにつけ馴染んできて今ではオリジナル商品のマークとして大活躍しているそうです。

Takishima Vegetablesマーク

Takishima Vegetables

瀧島さんのところはハウスを使用しない完全露地栽培で、主要な生産物はキャベツ、金子ゴールデン小麦、トウモロコシ、えだまめ、らっかせい、タマネギ、にんにく、みかんなどです。それ以外にもアスパラ、柿、そのほか草花や植物が随所に。それまで見てきたどんな畑とも様子が異なり、様々な種類の作物があちこちに植栽され、畑の傍らに咲く花々、特にイチジクの木の周りはエデンの園のよう。こんもりした草むらから緑の妖精達が飛び出してくるのではないか、そんな豊かな園の気配を瀧という文字になぞらえています。

Takishima Vegetables
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