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55HOPPY(2003年)

ホッピー生誕55周年の記念商品として発売された商品です。昔に存在した旧デザインの写真が1枚あり、それを元に非なる似ているものを作って欲しいというオーダーでした。どのくらいのラフを作ったのか覚えていないほど、たくさん作りました。何度もなぞって解体して、磨き直して、再構築する。時計のオーバーホールのような感覚でしょうか。手厳しい営業部長から昔のようで新しい商品だと言われた時、「温故知新」の核心にほんの少しだけ触れたような気がしました。

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ホッピービバレッジ HOPPY BFVERAGE

4040ポスター(2001年)

ホッピービバレッジ社史上、初めての「ホッピーのポスター」です。1948年に誕生したホッピーが53歳のときに出来上がったもの。アトリエタイクにとっても、会社を立ち上げてこれが最初の公式な受注仕事なので、お互いにデビュー作品となりました。多摩美術大学の学生時代、芸術祭(文化祭)にブータン料理と生ホッピーの専門店を出店し大繁盛しました。そのお礼にイメージ広告を作ったことが発端となり、同じような雰囲気でとご依頼いただきました。この当時、ホッピーは若者文化にほとんど知られていない、赤提灯世界の昭和遺産でした。ホッピービバレッジの旧社名はコクカ飲料、ボトル正面に桜の花がついています。戦中、兵隊達へ「清涼」を届けるために軍の要請でラムネ製造を開始し、戦中・戦後を併走してきました。敗戦後、進駐軍が威張っていたのを見て、「国家」が立ち直るのを願い「国花」と先代が社名を変えたそうです。当時の庶民にはとうてい手が届かないビールの代替品として誕生したホッピーは、清涼飲料史の中でも重要な位置を占め、実はノンアルコールビールのパイオニアでありました。

長く歴史を背負っている商品のデザイン改変はとても高揚しますが、怖さと重責も同時にやってきます。今はなきプリントごっこで作成された原画を組み合わせ、珍しい40cm真四角で制作したポスターをいまだに居酒屋さんで見かけます。20年近く前のチャレンジが今でも機能しているような気がして安堵しています。

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コーポレートマーク・社章

ホッピー社には缶製品がありません。瓶に始まり、リターナル瓶にこだわり、工場には常に瓶の音が鳴り響いています。元々の英字体のロゴとこの特徴的なリターナル瓶のフォルムを合わせてシンボルマークを考えました。このシンボルマークで東京の老舗の徽章屋さんに社員全員分の社章をホッピーのようなゴールドで作ってもらいました。周年イベントの時、普段は作業着の工場の方達が背広にピカピカ光る社章をつけて、すこし気恥ずかしそうに胸をはって本社赤坂に集ったのをいまでも覚えています。

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深大寺ビール(2003年)

「江戸名所図会3巻」(1834〜1836年刊)に深大寺蕎麦が描かれています。現代とはだいぶ趣の異なる風景ですが、169年前も深大寺では変わらず蕎麦を食べている。江戸時代中期には、深大寺だるま市も開かれていたというので、だるまを買って、蕎麦を食べながら願い事を思い浮かべてたのでしょうか。この仕事から、数年後、まさか自分達が民芸玩具を取り扱い、深大寺のお膝元に引っ越してくることになるとは、これも何かの縁なのでしょう。