
ある日突然、電話がかかってきました。「万かつサンドの初めてのポスターを作ってほしいです」しかも10年以上変えることなく使えるデザイン。万世の歴史を紐解くと戦後の秋葉原では電機部品などの闇市が起こりましたが、その当時の山際電気商会(ヤマギワ電気)には後の石丸電気の石丸さんと肉の万世の創業者となる鹿野さんが働いていました。石丸さんは電気屋となり当初は鹿野さんも鹿野無線を開きましたが、ヤマギワさんや石丸さんと競合になるのは避けようとまだまだ牛肉が一般的ではなかった東京でお肉屋さんを始めたのでした。
それ以後あまりにも濃い歴史がたくさんあるので割愛しますが、牛のシンボルマークはグラフィックデザイナーの福田茂雄、「肉の万世」ロゴは黄桜のかっぱの美人画や「かっぱえびせん」ロゴの清水崑、そしてかのモーちゃんブーちゃんの生みの親は福田茂雄の義父である童画作家の林義雄、さらに社外ブレーンにはデザイン雑誌「アイデア」を創刊した宮山峻が関わるというそうそうたるメンバーでした。長い歴史の中でいくつもの微妙に違うロゴやマークが存在したためアトリエタイクではこの整理とブラッシュアップを行い一つの統一された規格へと見直しました。

デザイナーにとって一生あるか無いかの貴重な案件
オリジナル「うまい棒」と「コインチョコ」



万かつサンド
肉の万世という響きよりも「万かつサンド」の方が世の中では知れ渡っているのではないでしょうか。神田で行われる三社祭では担ぎ手たちに万かつサンドが例年支給されていましたが、あるとき諸事情でカレーライスになったことがありました。これでは神輿がかつげないと担ぎ手たちから文句がでたそうです。遠く離れた福岡でも知名度が高いのは羽田空港でお土産品No.1であるためたくさん飛行機にのっていくからです。この万かつサンド、他の有名サンドイッチと一線を画すのは冷蔵・冷凍加工をせず当日生産、当日配送、賞味期限も当日。1箱に1枚のかつがしっかり入っています。そのため上野動物園が大賑わいの時は、特別パンダパッケージの万かつサンドが万世の工場から1日に何便も運ばれていくのです。また精鋭部隊である秋葉原署の刑事さん達の夜食にも配られているそう。




モーちゃん、ブーちゃん
彼らの産みの親はその昔キンダーブックなどで武井武雄らと共に多くの童画を手がけた林義雄さんで上皇后美智子さまも林さんの大ファンでした。そんな生まれの良い彼らが80〜90年代の荒波センスにもまれて出番を失っていたのです。そこで私たちは当時まだご存命であった林さんからモーちゃんブーちゃんに「言葉を喋らせてもいい」という許可をいただきました。最初の記念すべきポスターではしばらく影を潜めていた彼らに改めて活躍してもらうことになりました。このイメージを林さんに見ていただいたところ「そうなんだよ、モーちゃんブーちゃんはハイカラなんだよ」と言っていただけました。ブーちゃんファミリーにはお父さんがいません。林さんに聞いてもらったところ「お父さんは万カツサンドになっちゃったでいいんだよ」と笑ってらしたそうです。そんなユーモアもさすがは童画作家さんです。童画家として日本人で唯一アンデルセン童話集に選ばれている武井武雄は「童画」という言葉の名付け親で郷土玩具の父でもあります。数年後「武井武雄のこけし」の装丁の仕事が来ました。そしてその翌年、民芸玩具専門店「アトリエガング」を始めることになったのはなにかモーちゃんブーちゃんに導かれた不思議な縁を感じます。